2012年2月28日火曜日

高速道路の安全走行

風が冷たく寒い一日でした。
高速道路の高架橋の上で5~6人の人が
下の道路を観察していました。
見ると何かチェックシートで、作業していました。
傍に行って覗いて見ると安全チェックシートでした。
トラック協会の多分安全部会の担当者が、
通行中の大型トラックの安全運転を、チェックして
いたのです。
こんな処で安全活動をしているのかと、始めは
驚きましたが、よく考えれば自分の知らない、
(あるいは気づかない)ところで、色々な人が
活動して、高速道路の安全走行が確保されて
いるのだと納得しました。
皆さん安全運転で走行しましょう。

2012年2月24日金曜日

春、遠からじ

南の窓に背を向けて作業をしていると暖かく春遠からじかなと体が感じる今日の昼下がり。
久々の晴天、うれしいな!
洗濯物も喜んでるよ!プランターの花さんもうれしいな~!きっとね。
 
冬は風邪予防のためにマスク、春のこれからは花粉を少しでも吸い込まないためのマスク。
マスクさんとは大の仲良し。      mirumama

2012年2月21日火曜日

日本の人口推計について

厚生労働省の国立社会保障・人口問題研究所が、将来推計人口を公表しました。2010年に1億2806万人だった日本の総人口は、2048年に1億人を割り、2060年には今より3割減の8674万人になると予測している。この推計人口は2010年の国勢調査に基づき算出している。日本が世界に例を見ない速さで、超高齢社会に向かっている。
国連推計(2009年)によると、2050年には高齢化率が日本は約39%に対し、米国約22%、スウェーデン約24%と推計している。
今回の社人研の推計では、2060年には、65歳以上の人口が約40%、平均寿命は、男性が約84歳、女性が約91歳と推計している。
この推計は、今後の出生率によって大きく変化するが、今後の日本の社会保障制度など、日本の将来像を早めに国民に示してほしいと思います。
なお、この記事の詳細は「退職シニア地域デビュー情報」の「新着情報」に載せていますので、是非見ていただきたいと思います。           supo

2012年2月17日金曜日

春の訪れ!

今年の冬は厳しい寒さと大雪に見舞われ、立春が過ぎたとはいえ、今だにこの状態が続いています。
それだけに暖かい春の訪れが待たれますが、各地からは梅の便りや伊豆半島では河津桜まつりのニュースが、テレビや新聞で報じられるようになりました。
19日は降る雪が雨に代わり、氷も溶け出すといわれる二十四節気の“雨水”ですが、この頃から寒さも峠を過ぎ、春が駆け足でやってくるでしょう。

2012年2月14日火曜日

バレンタインデー

事務局のN嬢よりチョコを頂いたので、バレンタインの起源等を調べてみました。
少し長くなりますがご覧ください。(ウィキペディア・フリー百科事典より引用)

日本では、女性が男性に愛情の告白としてチョコレートを贈る習慣がある。
これは日本独自のものである。
欧米でも恋人やお世話になった人にチョコレートを贈ることはあるが
決してチョコレートに限定されているわけではなく、またバレンタインデーに
限ったことでもない。女性から男性へ贈るのがほとんどという点と、贈る物の多くが
チョコレートに限定されているという点は、日本のバレンタインデーの大きな特徴である。
しかし最近では、チョコレートにこだわらず、クッキーやケーキ、マフラーなどを贈る人もいる。
また、「恋人までは行かないが、友人として」贈る「義理チョコ」、同性(主に女性)間で
贈り合ったりする「友チョコ」、男性が女性に渡す「逆チョコ」というものもみられる。
「日本型バレンタインデー」の特徴を整理すると
・贈答品にチョコレートが重視される点
・女性から男性へ一方通行的贈答である点
・(女性の)愛情表明の機会だと認識されている点

日本のバレンタインデーの起源と紆余曲折
神戸モロゾフ製菓(現在のモロゾフ)説
東京で発行されていた英字新聞『ザ・ジャパン・アドバタイザー』1936年2月12日付けに同社が広告を掲載したことを重視するものである。「あなたのバレンタイン(=愛しい方)にチョコレートを贈り
ましょう」というコピーの広告であった。確認されている最も古い“バレンタインデーにはチョコを”
の広告である。
メリーチョコレートカムパニー説
同社が1958年2月に伊勢丹新宿本店で「バレンタインセール」というキャンペーンを行ったことを重視する説である。
森永製菓説、伊勢丹説
1960年より森永製菓が「愛する人にチョコレートを贈りましょう」と新聞広告を出し、さらに伊勢丹が
1965年にバレンタインデーのフェアを開催し、これがバレンタインデー普及の契機となったとする説がある。
しかし、「バレンタインデー」の文字がある広告が、1956年の西武デパートや松屋の新聞広告や、
1959年の松坂屋の新聞広告にも掲載されている。
ソニープラザ説
ソニー創業者の盛田昭夫は、1968年に自社の関連輸入雑貨専門店ソニープラザがチョコレートを
贈ることを流行させようと試みたことをもって「日本のバレンタインデーはうちが作った」としている。
ただいずれにしても、すぐに大きな反響があったわけではなく、商品もあまり売れなかったようである。
各種の説があるが、バレンタインデーが日本社会に普及したあとに、自社宣伝のために主張されたために誇張も含まれると思われる。
総じて昭和30年代には、「バレンタインデーの贈答品はチョコレート」とする意識はまだなかった。
当時のバレンタインデーの新聞広告によると、購入を勧める贈答品にチョコは登場しなかった。
森永製菓の広告ですら、チョコレートは贈答品のおまけとして位置付けられていた。
バレンタインデーの起源の一つとされる1960年の森永製菓の新聞広告には、
「チョコレートを贈る日」ではなく、「チョコレートを添えて(手紙などを)贈る日」として書かれていた。バレンタインデーに贈答品を贈るのは誰かという点でも女性に限定されていなかった。
ただ「愛の日」という点は強調されていた。

日本社会への定着と展開   
デパート各店が、バレンタインデー普及に務めていたが、なかなか定着せず、1968年をピークとして客足は減少し、「日本での定着は難しい」との見方もあった。
しかし、数年を経て、1970年代前半にチョコレートの売上が急増した。
バレンタインデーにチョコレートを贈答するようになったのは、小学校高学年から高校生までの
学生層から広まったという。1980年代後半には主婦層にも普及した。

2012年2月10日金曜日

地面の氷

今日は更新日、ふと窓からグランドを覗くと地面に氷が張っていた。
  >ヨッシャ!!
写真を取ろう・・・、と」言いながら更新作業に没頭し、カメラを手に表に出たら???
  >ありゃー 溶けちゃった。

何事も “やろうと思えば” すぐ実行!  頑張ろう! 
                                                                                                k

2012年2月7日火曜日

早く来い春よ

今年の大雪で、連日犠牲者が出ており、胸が痛くなる。

子どもの頃、友達が「家は2回から出入りするの」「エ~ッ、見たいなあ」というと招かれ一緒に帰ったことを思い出した。

田んぼにはあちこち雪よけかな?あったが、そこは電信柱の頭しか見えずビックリ・・・

友達の家は本当に2階から入り、1階は真っ暗・・・

後にも先にもたった1度の思い出が強烈に残った。

雪かきで亡くなった方のご冥福をお祈りつつ、フット昔を思い出しました。  

早く春がきてふきのとうが出ますように。
                        ノンノン

2012年2月3日金曜日

今日は節分です

立春の前日が、季節の変わり目が節分。
それなら年4回あるんだ、立夏、、立秋、立冬と。
今夜は豆まき、豆を食べ,巻きすし、いわしの夕食。
鬼退治して、福を呼び込もう。、