2012年2月14日火曜日

バレンタインデー

事務局のN嬢よりチョコを頂いたので、バレンタインの起源等を調べてみました。
少し長くなりますがご覧ください。(ウィキペディア・フリー百科事典より引用)

日本では、女性が男性に愛情の告白としてチョコレートを贈る習慣がある。
これは日本独自のものである。
欧米でも恋人やお世話になった人にチョコレートを贈ることはあるが
決してチョコレートに限定されているわけではなく、またバレンタインデーに
限ったことでもない。女性から男性へ贈るのがほとんどという点と、贈る物の多くが
チョコレートに限定されているという点は、日本のバレンタインデーの大きな特徴である。
しかし最近では、チョコレートにこだわらず、クッキーやケーキ、マフラーなどを贈る人もいる。
また、「恋人までは行かないが、友人として」贈る「義理チョコ」、同性(主に女性)間で
贈り合ったりする「友チョコ」、男性が女性に渡す「逆チョコ」というものもみられる。
「日本型バレンタインデー」の特徴を整理すると
・贈答品にチョコレートが重視される点
・女性から男性へ一方通行的贈答である点
・(女性の)愛情表明の機会だと認識されている点

日本のバレンタインデーの起源と紆余曲折
神戸モロゾフ製菓(現在のモロゾフ)説
東京で発行されていた英字新聞『ザ・ジャパン・アドバタイザー』1936年2月12日付けに同社が広告を掲載したことを重視するものである。「あなたのバレンタイン(=愛しい方)にチョコレートを贈り
ましょう」というコピーの広告であった。確認されている最も古い“バレンタインデーにはチョコを”
の広告である。
メリーチョコレートカムパニー説
同社が1958年2月に伊勢丹新宿本店で「バレンタインセール」というキャンペーンを行ったことを重視する説である。
森永製菓説、伊勢丹説
1960年より森永製菓が「愛する人にチョコレートを贈りましょう」と新聞広告を出し、さらに伊勢丹が
1965年にバレンタインデーのフェアを開催し、これがバレンタインデー普及の契機となったとする説がある。
しかし、「バレンタインデー」の文字がある広告が、1956年の西武デパートや松屋の新聞広告や、
1959年の松坂屋の新聞広告にも掲載されている。
ソニープラザ説
ソニー創業者の盛田昭夫は、1968年に自社の関連輸入雑貨専門店ソニープラザがチョコレートを
贈ることを流行させようと試みたことをもって「日本のバレンタインデーはうちが作った」としている。
ただいずれにしても、すぐに大きな反響があったわけではなく、商品もあまり売れなかったようである。
各種の説があるが、バレンタインデーが日本社会に普及したあとに、自社宣伝のために主張されたために誇張も含まれると思われる。
総じて昭和30年代には、「バレンタインデーの贈答品はチョコレート」とする意識はまだなかった。
当時のバレンタインデーの新聞広告によると、購入を勧める贈答品にチョコは登場しなかった。
森永製菓の広告ですら、チョコレートは贈答品のおまけとして位置付けられていた。
バレンタインデーの起源の一つとされる1960年の森永製菓の新聞広告には、
「チョコレートを贈る日」ではなく、「チョコレートを添えて(手紙などを)贈る日」として書かれていた。バレンタインデーに贈答品を贈るのは誰かという点でも女性に限定されていなかった。
ただ「愛の日」という点は強調されていた。

日本社会への定着と展開   
デパート各店が、バレンタインデー普及に務めていたが、なかなか定着せず、1968年をピークとして客足は減少し、「日本での定着は難しい」との見方もあった。
しかし、数年を経て、1970年代前半にチョコレートの売上が急増した。
バレンタインデーにチョコレートを贈答するようになったのは、小学校高学年から高校生までの
学生層から広まったという。1980年代後半には主婦層にも普及した。