2014年12月17日水曜日

水口岡山城遺跡発掘調査状況

水口岡山城は、天正13年(1585)に羽柴秀吉の家臣である中村一氏によって築かれた甲賀随一の規模を誇る織豊系城郭です。
水口盆地を一望出来る独立丘陵「古城山」(標高282m)に曲輪跡や石垣、堀切、堅堀などが残っています。
眼下には東海道が通り、野洲川が流れ、当時から交通の要衝でした。豊臣政権における甲賀支配の中核の城と言ってもいいでしょう。
織田信長が明智光秀の謀反で亡くなってから、織田信長の甥・織田信澄が明智光秀と築いた高島の大溝城は取り壊され、岡山城の築城につかわれました。
2代目城主増田長盛、3代目城主長束正家ですが、1600年の「関ヶ原の戦い」で西軍に属し、結局降伏開城し、この年に廃城となりました。
(徳川3代将軍家光の上洛の宿館として、1634年に小堀遠州によって、水口城が築かれますが、この際廃城となった岡山城の石垣の石が使われたとも伝えられています。)
本年の発掘調査で、多量の瓦が出土し、天主閣規模の建物が二つあったと推定されています。
古代のロマンの夢はつきないですね。   supo